Memory Note 11

月夜野で当たり前だったこと

月夜野で当たり前だったことが、当たり前ではなかったと気づいたのは、しばらく経ってからでした。

みなかみ町を思わせる山と川の風景イラスト

月夜野で育った18年間、毎日の風景はごく自然なものでした。山は常に見えていて、利根川は少し行けばそこにありました。雪が深く積もることも、空気が冷たいことも、ふつうの日常でした。

雪の量が、違った

月夜野の冬は、雪が多い。屋根に重たく積もった雪、朝の除雪、玄関が開きにくい日。そういうことが冬には普通でした。雪かきの道具が家に当たり前に置いてあって、長靴は雪の季節の毎日の装備でした。

東京に来て、雪がほとんど降らない冬を初めて経験したとき、妙な感じがしました。冬らしくない。それが正直な感想でした。雪が当たり前ではない場所があることを、そのとき初めて実感しました。

山が、いつも見えた

どこにいても、山が視界にありました。朝起きると山があり、学校から外を見ても山があり、帰り道を歩いていても山がありました。季節によって色が変わり、雪をかぶったり、緑に覆われたりしました。

山がそこにあることで、自分が今どこにいるかがわかる。その感覚が当たり前でした。山の見えない場所に移ってから初めて、あの感覚の意味がわかりました。

利根川が、季節を教えてくれた

利根川が近くにありました。川の水量は季節によって変わり、雪解けの時期には水の色も音も変わりました。川を見れば、今の季節がわかる。あの頃は意識していませんでしたが、川が季節の目安になっていました。

川沿いを歩いたり、橋の上から水を見たりすることが、日常の一部でした。今もあの川の音を思い出すことがあります。

人が、近くにいた

月夜野は小さな町でした。知っている人に会う機会が多く、顔見知りの大人があちこちにいました。それが時として窮屈でも、何かのときにそこに人がいるということでもありました。今になって、その感覚がどれだけ大切だったかを思います。

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